- 癒しの人が一番壊れてる
癒したいのは他人じゃなくて、自分。
“誰かのため”を言い訳にして、
自分の傷と向き合うのを避けてる。
癒しを仕事にすると、自分の回復が後回しになる。 - 光の人の影は深い
光ばかり語る人ほど、
自分の闇に気づいてない。
闇と向き合ってない人が放つ光は、ただの反射。 - 癒しがアイデンティティになってる
癒してないと存在できない。
“役割”を脱ぐと、何も残らない気がする。
癒しの仮面で空白を隠してるだけ。 - 無条件の愛を語る人ほど条件つき
「私は無条件の愛です」って名乗った時点で条件あり。
愛は説明じゃなく体現。
言葉で証明する時点で、それは信じきれてない。 - “愛なら手放すべき”の圧
その言葉がすでにコントロール。
手放せない理由を責めるのは、愛じゃなく支配。
愛にはプロセスがある。 - 自己犠牲を“愛”にすり替えるな
無理して与えて、それを愛だと思い込んでる。
でもそれ、苦しさが滲んでるよ。
ほんとの愛は、まず自分が満ちてること。 - ヒーリング依存で癒しきれない
癒し続けても、なぜか終わらない。
それ、癒すことが目的になってない?
終わらせたら“空っぽの自分”に気づいてしまうから。 - ヒーリングが止まらないのは自分の不安
次から次へとセッションを求めるのは、
安心できる場所が自分の中にない証拠。
ヒーリングが習慣になると、自立が遠のく。 - 癒しの力を語る人ほど力がない
「私は強いヒーラーです」って言う時点で不安。
本物の癒し手は、静かで透明。
語らずとも滲むのが“力”。 - 人の痛みがわかる=自分の痛みから逃げてる
人の痛みに敏感なのは、
自分の痛みに鈍感だから。
共感は、避けた感情を外に見るパターンもある。 - 人を癒すことで満たされようとする
満たされたいのは自分の方。
人に与えることで、自分を埋めてる。
その癒しは“循環”じゃなく“代償”。 - 感情に寄り添える=自分の感情は蓋
優しい人ほど、自分の怒りに無自覚。
他人の感情を扱いながら、
自分の感情は処理してないことが多い。 - “私は与える人間です”の盲点
与えることで存在を証明してるだけ。
受け取るのが苦手だから、与え続けるしかない。
それ、バランスでも愛でもない。 - 癒しの仕事で満たされたい
“役に立つ自分”じゃないと価値がないと思ってる。
それ、他人を使って自分を救おうとしてる構図。
本当は、助けられたいのは自分。 - ヒーリング=逃避の温床
癒しの現場にいながら、
現実からどんどん離れていく。
魂の進化じゃなく、現実逃避を美化してるだけ。 - “整えてばかり”で生きてない
エネルギーを整えてるつもりで、
実は人生の波に乗れてない。
“整う”を理由に何もしないのは、止まったまま。 - “人のため”が止まらない人は寂しい
誰かの役に立つことでしか、
自分を感じられない。
一人で満ちる体験がないと、永遠に誰かを必要とする。 - 「癒せてる自分」に酔ってる
自己肯定感を“癒しの成功”で稼ごうとしてる。
誰かが泣いたら、自分が満たされる。
それ、ヒーリングじゃなく依存の交換。 - 「私の直感は正しい」の危うさ
直感を盾にしてる人ほど、実は現実見てない。
違和感に気づけないのは、自分の中がザワついてるから。
“正しさ”を主張し始めたら、直感は鈍ってる。 - “高次元と繋がる”で現実逃避
どんなに高次と繋がってても、
目の前の現実が苦しいなら、それは幻想。
繋がるより、まず“降りてこい”。 - 自己愛を語る人ほど自己否定が深い
“愛そう”としてる時点で、
まだ“愛せてない”ことを認めてる。
自己愛は努力じゃなく、自然に溢れる状態。 - “私は器が大きい”の押しつけ感
器が大きい人は、わざわざそれを言わない。
アピールしてる時点で、不安と競争心の表れ。
“余裕”を演出しないと耐えられないのは誰? - 愛のつもりがマウンティング
「あなたのためを思って」が上から目線になってない?
愛という名の介入が、相手の自立を奪うこともある。
愛は、押しつけたら支配になる。 - “私は感じやすい”で思考停止
感じることを免罪符にして、
現実を見ない。責任も取らない。
繊細さに甘えてないか? - “全部エネルギーだから”の逃げ
なんでもエネルギーで片づけると、
現実が見えなくなる。
説明じゃなくて、ちゃんと“生きて”る? - “魂の約束”を都合よく使う
上手くいかない理由を、
魂のせいにすると成長が止まる。
運命より、今の自分の選択がすべて。 - 「私は特別」から抜けられない
スピリチュアルで“選ばれし感”を強化してない?
特別であることで、寂しさを埋めてる。
“ただの私”でいられる人が、最も自由。 - 「私は使命でやってる」からの暴走
使命があれば何してもいいと思ってる。
“使命”という名の免罪符を手に入れると、
境界も責任も曖昧になる。 - 「それカルマだよ」で片づける傲慢さ
他人の苦しみを一言で断罪するのは、
優しさではなく感情の回避。
カルマを語る前に、相手の今を見て。 - “癒しの人”ほど人を見下している
無意識に「私の方がわかってる」と思ってない?
癒す=上、癒される=下という構造が、
関係性をゆがめていく。
★5分で読めてハッとする勘違いシリーズ(他人を癒す前に自分を癒さなきゃいけない人たち)
