「ちゃんと感じてるつもりなのに、現実が動かない」
「感情に向き合ってるつもりなのに、なぜか変化が起きない」
そんな経験、ありませんか?
それ、もしかしたら
“感じているつもり”になっているだけかもしれません。
◆ 感じるとは「頭」ではなく「体」で起きること
多くの人が、感情や感覚を“思考”で処理しています。
たとえば:
- 「今、私は悲しいんだと思う」
- 「きっと怒ってるのかな」
- 「そういえば昔こういうことがあったから今こう感じてるはず」
これらはすべて、“頭で意味づけした感情”であって、
リアルタイムで体に起きている“感覚としての感情”とは別物です。
◆ なぜ、“感じること”ができないのか?
本当に感じるとは、思考が静まり、体がゆるみ、今ここで揺れているものに触れることです。
でも多くの人は、以下のような背景から感覚を遮断しています:
- 幼少期から感情を出すと否定された
- 怖さや悲しみを感じると、つらすぎてフリーズした
- 感じることよりも「理解すること」で乗り越えてきた
その結果、「感じること」自体に“危険”という定義が刷り込まれてしまっているのです。
◆ 感じる力が閉じている人の特徴
- 思考で感情を分析してしまう
- 感情に“ラベル”を貼って終わりにしてしまう
- 「何を感じてるのか、わからない」とよく口にする
- 「体感覚」という言葉にピンとこない
- 人の感情には敏感なのに、自分の感情がわからない
これらはすべて、「感じること」を封じて生き延びてきた証拠です。
そしてそれは、あなたが悪いのではなく、“守り方”を知らなかっただけなのです。
◆ なぜ「感じること」が現象化に関係あるのか?
現実を動かすのは、思考ではなく周波数です。
そして周波数は、「体感」「感情」「存在の振動」から発せられています。
だから、頭だけで「こうなったらいいな」と願っても、
体がその状態を感じられていないと、周波数がズレてしまう。
結果として、現実は動かないのです。
◆ 感じることを取り戻す=存在の回復
感じる力を回復することは、
ただ感情に敏感になることではありません。
それは、自分の存在を取り戻すことです。
「私は、ただ在るだけでここにいていい」という感覚が、
“感じる”ことの奥底に眠っています。
◆ 存在不安と、感じることの遮断
実は「感じることができない人」は、ほとんどの場合、
深いレベルでの“存在不安”を抱えています。
- 感じたら壊れてしまう気がする
- 感じたら拒絶される気がする
- 感じた自分は“ここにいてはいけない”と感じてしまう
この存在不安にアクセスしない限り、
“感じているつもり”のまま、現実が停滞し続けるのです。
◆ 「存在の感度」を取り戻したい方へ
私の著書『リボーンーただ在ることに還る書』では、
こうした感じることの遮断=存在不安のパターンを丁寧にほどいていく方法を扱っています。
ただ感じるだけでなく、
「感じても大丈夫」な身体の安心感を取り戻すことが、現実を変える最初の一歩になるのです。
📘『リボーン ― ただ在ることに還る書』
もう証明しなくてもいい世界
▼Amazonページはこちら
https://www.amazon.co.jp/dp/B0FHHK8NFK